ことわざについて調べよう (小3国語)

また楽しい単元だ。
自分でテーマ(特徴)を決めて、ことわざを調べ、集める。
以前、詩集でやったことと同じだ。

しかし、大きな課題がある。
それは、30人が同時にアクセスでき、しかも理解できる状態を作り出せるかどうか、である。

例えば、図書室。
「ことわざ辞典」なるものが、せいぜい10冊。
2・3時間連続で、同一学年が図書室を予約し続けることも難しい。

例えば、移動文庫。
図書室から10冊程度のことわざ辞典を廊下にでも置いておく。
これも結局、冊数が足りないのと、よそのクラスの進み具合を気にしながら、そして気を遣いながら利用するのが何となく嫌。

例えば、インターネット。
パソコン室を予約し続けることができれば、同時アクセスは可能。
ただし、ルビがふってないので、内容がものによっては難解。

今回は、どんぐり界隈で『不』人気のちびむすドリルを全員分印刷した。ルビもついてるし。
コピー学習・ドリル学習の権化みたいに思われているかもしれないが、自分としては利用できるものは利用する(そうは言っても、例えばゲームアプリなんかがあっても、メリットよりもデメリットが大きいので利用しないが)。

ただ、他のクラスの担任の先生にはいい顔されなかった。
気持ちも分かる。
「本」を調べて「筆者・書名・出版社・出版年」等を書かせたかったのである。
あと、目次や索引に目を向けさせたかったのだろう。

キャプチャ5 - コピー

それはそれで大事。
ただ、こちらも「サイト名・URL・最終確認日」は書かせる。
また、家からは「ことわざ辞典」的なものを持ってこられる人は持ってきて使わせた。
フラット。
ニュートラル。
選択肢は与えておいて、どちらも引用元を明らかにする。
ネットと本のどちらが上か、等は考えていない。

が、「テーマ(特徴)」を選ぶ際に、困ってしまった。

キャプチャ

「出てくるもの」はよい。分かりやすい。
(虫は動物じゃねぇのか、動物兼食べ物ということもあるだろ、という点はとりあえず、置く)

「くり返し」もよい。「一難去ってまた一難」や「郷に入りては郷に従え」などだろう。リズムを感じられる。

しかし、「たとえ」ってのは、ほとんどのことわざがそうじゃないの?
指導書には「石の上にも三年」とか「ちりも積もれば山となる」とかあるのだが、ほとんどのことわざが比喩だと思う。「鬼に金棒」だって「犬も歩けば棒にあたる」だって。困ったので「意味の最後に『たとえ』って書いてあるのを選んだら?」とした。いや、難しい。

順番は前後するが「教訓」もそう。
どのことわざだって教訓めいたことが書いてある。例えば「二度あることは三度ある」だって「油断するな」という場合もあるだろうし、ブルゾンちえみじゃないけれど、「くよくよするな。チャンスはまた来る」という意味にもとれる。こちらも困ったので、「『〇〇せよ』とか『〇〇しろ』というのを選んだら?」とした。
(若い時の苦労は買ってもせよ、急がば回れ、勝って兜の緒を締めよ、等)

「組み合わせ」というのもよく分からん。
指導書の例示には「月とすっぽん」「花より団子」「論より証拠」とあるのだが、それだったら「対比」とした方がよいと思う。国語の教科書なのに、言葉のチョイスが分かりにくい。「鬼に金棒」だって「組み合わせ」だろうに。

どうも教科書は、「意味が分かりやすい」言葉を選んで、「意味は分かるけど、わけが分からん」状態に陥らせている気がしてならない。教師にも児童にも。

このブログも、教科書への文句をさんざん挙げてきたが、よくなって欲しいがためだ。
教科書は、教材研究の時間がなくて困っている教師の(そして児童の)味方になって欲しい。
ただでさえ子ども、読めてないんだからさ!

とはいえ、教科書の軌道修正をしつつ、活動そのものは楽しんでいる。
目下ことわざを調べて上記のようなカードにして、報告書を作成中である。
イメージ化は理解を促進するので、絵も描かせたいなぁ。
スポンサーサイト

図形領域、苦戦中…いや、試行錯誤中 (小3算数「三角形と角」)

第1時 ホワイトボードで分類

「以前、直角三角形という形を勉強したけど、今回は辺の長さで分けるよ」

キャプチャ5 - コピー

好きな3点をつないで三角形を作る。
プリントで思い思いに線を引かせる。

児童「定規使うのー?」
自分「そうだよ。三角形は『3本の直線に囲まれた形』だからね」

12個の三角形を描けた子は、ホワイトボードに描きに来る。
(円と点は自分の方で描いておく。フリーハンドだけどな! 手塚治虫は円を上手に描いたらしいから←関係ない)
子ども達はホワイトボードに、棒磁石を使ってなんとか線を引く。

それを3グループに分け、各グループがどう違うか討議する。
「二等辺三角形」と「三等辺三角形」…ならぬ「正三角形」という言葉を教える。
「等辺」を意味する『=』みたいな記号を「キツネのヒゲ」とか言って教える。
(そう思うと、どの二等辺三角形もキツネの顔に見えてくるから不思議だ。ちょうど今年度、図工で「手袋を買いに」の物語の絵を描いた)

キャプチャ5

「世の中には『ただの三角形』と『二等辺三角形』と『正三角形』がありまーす」


第2・3時 二等辺三角形・正三角形の描き方を学ぶ。

最初、底辺となる「等辺じゃない辺」を引かせる。
そして、ワイパーみたいに2本の等辺を動かして見せる。

キャプチャ5 - コピー

「ワイパーの先がにじのようになるの分かる?
この2本の辺がカチッと合うところをコンパスで探すのよー」

こんな感じ。
キャプチャ

ここでは「にじをかく」とあるが、子どもには「にじを架けろ」とロマンチックに言ってきた。
多少のズレや長さの間違いはあれども、きれいに『架けると』(そして『描けると』)うれしいようだ。キツネのヒゲを描いて完成。


第4時 折り紙で二等辺三角形・正三角形を作る。

この時間から、授業の最初にメモ帳程度の大きさのプリントに練習問題をするようにした。

①名前を書く。
②3cm - 5cm - 5cm の二等辺三角形を描く。
③5cm - 3cm -3cm の二等辺三角形を描く。
④一辺が4cmの正三角形を描く。
⑤定規ではかって自分で見直す。

透明シートで教員が添削。コツは「同じ問題を繰り返す」こと。
キレイな作図は場数と見直し。できるようになりやすく、達成感を感じやすいし、指導者も楽。
で、本題。

キャプチャ5 - コピー

いやいや、説明端折り過ぎでしょ。
まず、二等辺三角形。
直線で切らしたいんだから「定規と鉛筆で直線を引こう」くらい言ってよ。
で、「切った部分がぴったりと重なって、同じ長さなので、二等辺三角形になります」って確認が必要じゃないかなぁ。
指導書では「折り目が垂直二等分線になっていることを確認する」とか書いてあるんだけど、そんなことより今は「二等辺がぴったり重なっている」の確認の方が大事だと思うんだけど…
こんな感じ。

キャプチャ

正三角形もそう。
折り紙に慣れている子は大丈夫としても、「右下の直角を折り筋に合わせる」なんて分からんぞ。
結局、「点線を描く」とかの手順も追加して、それでも子ども達いろいろ失敗した。

いつだったか、折り紙問題は学調でも出ていたこともあるし、おろそかにしたくはなかった。
(また、折り紙ではないが「折り曲げる」問題は、中学校の合同や証明問題でもよく出てきた記憶がある)
もう一度、仕切り直す。

下辺に油性ペンで、赤いインクをつけて配った。
(子ども達、『地がついてる』とかほざく。人聞きの悪い!)
これで、【下辺と他の2辺は同じ長さ】を強調したい。

だから、こう言った。
「折り筋まで右下の直角を持ち上げて、点を打ちます。乾いてないインクがくっついたと思って赤鉛筆で直線を引きましょう。今度は左下の直角も持ち上げます」
こんな感じだ。
キャプチャ5 - コピー
(最後の図はちょっと不本意。「下辺が左辺と同じ長さ」は表現できたが、「下辺が右辺と同じ長さ」はいまいち表現できなかった)

ヨガやエアロビクスやミュージカル等で、足を上げたりするが、伸ばした足は右にしても左にしても同じ長さ。
そんな感じで、ピラピラと下辺をめくって見せる。
キャプチャ5キャプチャ5 - コピー

えらく時間がかかったが、これで折り紙と正三角形の性質が結びついた…だろう、多分。


第5時 円の中の三角形

第1時を思い出す。
まず、二等辺三角形。

キャプチャ5

自分「円の中心を使えば、どんなに適当にやっても二等辺三角形ができます」
児童「でも先生、例えば3時のところと9時のところに点を取ると三角形にならないじゃん」
自分「…お、おう。確かにそうだな。みんな、一直線にならないようにだけ気を付けるんだぞ」

鋭いな。
「三本の直線に囲まれた形」という定義の盲点を無自覚に突いてきよる。
重なっちゃダメなんだね。

次、正三角形だが…

キャプチャ7

これ、うまくいかなかった。
なぜかというと、テキトーに点をとるまではよかったのだが、「そこから3cm離れて、しかも円周上に点をとる」というのが、物差しではうまくいかない(ズレる)。
そこで、教科書には記載はないが、
「これも、コンパスで3cm幅をうつしとり、円のどこかに針をさしましょう」
とした。

テキトーにコンパスの針で円周上を刺し、半径3cmのにじを架ける。
「円周とにじ(円弧)がクロスしたところが最後の頂点となります」
これで、正三角形が描ける。
(長さの指定がある二等辺三角形でも、この手でいける)

何にせよ、図形領域は教員も児童も苦労する。
あと、こうしたblog記事も画像画像で時間がかかる(苦笑:多分、苦労のわりに分かりにくい記事になっている)
とはいえ、どの子にも「うまく描けてうれしい」という達成感を味わえるようにがんばろう。

「東ロボ」とプログラミング

以前、新学習指導要領説明会のことを書いた。
そこでは述べなかったが、表題の2件、説明会で出てきたんですよね。

「子どもたちは教科書を読めてませんよ!」
「それはさておき、英語の時間を増やしますよ。それとプログラミングで論理的思考力を養います」

いや、おかしいだろ。
まずは現行の教科書の内容を読めるようにしましょうよ。
そっちの方が急務だろ。

そもそも東ロボ、なんで紹介したんだよ。
「AIにはできない付加価値のある学びを」ってことなんだろうけど、完全に矛盾してるぞ。
教科書も読めないで、アクティブラーニングや英語やプログラミングもないだろう。
欺瞞だ。
見た目は総花的によくとも、ただの虚飾だ。
おかざりだ。

中室牧子准教授は結局、「ゲーム教育」推進派としてのポジショントークと思ったけれど…
新井紀子教授は国研の人だけど、この記事この記事を見ていると、本気で未来を憂いている印象を受けた。
気骨ある体制派なのかな。
あと、プログラマーでもプログラミングに反対の人もいるんだな、と。

【以下、グチ】
まあ、どんなに無茶でも、床屋や居酒屋で言うだけならタダだ。
ただこれ、学習指導要領なのだ。
法的拘束力があるのだ。

教育行政の無謬性だか何だか知らんけど、どんどん現場の仕事増やしてんじゃないよ。
どうしても英語を増やしたいなら、代わりに「総合的な学習の時間」削ってくれよ。

なんで物量作戦なんだよ。
「成果というものは絞れば絞るほど出るものです」とか、本気で思ってそう。
「乾いたぞうきんをさらに絞ります」とか。

教師にも子どもにも、負担増やすのやめなさいよ。
どっちも潰す気か。
うつ病患者増やしたいのかよ。
一方で疲弊させといて、もう一方で「主体的・対話的な深い学び」ってどういうこと?
へとへとの子どもが主体的になれるわけないじゃん。

「余裕」というものを軽視し過ぎだ。
「心」というものをないがしろにし過ぎだ。
「ストレス」をナメすぎだ。

【追記】
大森直樹准教授という人が新学習指導要領について読み方を教えてくれたので引用。

1.漢字の学習量を例として

(1)「学習量過大」が課題
>漢字の学習には限りがないから、その学習量には制限が必要になる。
>だが、その制限が甘すぎること、「学習量過大」を許してきたことは問題だ。
>漢字指導法研究会は(中略)学習量をスリム化して、漢字そのものの仕組みや生い立ちを系統的に学べるようにする提案を行ったが、逆に10字の「追加」で応じた。

(2)「学習量過大」のまま「教科時数削減」しても無意味
>子どもには自由に遊び自由に学ぶ時間が必要だから、「教科時数削減」は政策としては正しい。
>だが、これに、「学習量削減」がともなわないと、子どもは限られた時間で大量の内容を学ぶ環境におかれる。
>削減を進めたのは77年と98年の指導要領だが、このときの漢字字数は「追加」と「据え置き」だった。
(08年は教科時数増加。現場としては「そっちじゃない」感がすごい)

(3)さらに今回の新指導要領は「28年ぶりの学習量「追加」 時数も増加」
(究極的に「そっちじゃない」。別に学習量削減でお花畑になると思っているわけではないが、現状の現場の疲弊はいくらなんでも深刻)

2.他教科・領域における「学習量過大」
(1)教科化を達成した道徳(基準22項目の完全網羅)
(2)小学校中学年における外国語活動
(3)プログラミング教育
(4)領土項目の追加
(5)銃剣道追加(中学校)

水道方式の遠山啓
「学習量過大で子どもたちは消化不良状態。落後者を作り出してきた」
「受動的に受け入れることに忙しく、自分で考える習慣を奪われている」
→これが「教科時数削減」と「総合学習」につながった。
(ということは、上記の自分の「英語やりたきゃ総合潰せ」論も、組合関係者には手放しで喜ばれるわけではなそうだ。ややこしい!)

3.反論しにくい包装紙
(1)「知識技能・思考判断表現・学びに向かう人間性が3つの柱だ」
(2)「主体的・対話的な深い学び」
(3)「教科の特質に応じた見方・考え方」

あんなこといいな
できたらいいな
あんな夢こんな夢いっぱいあるけど…
中身である「学習量過大」を放置して達成されるのか?

4.教員も教材研究する時間とれんでしょ。

「新指導要領」→「教科書・市販教材」→「授業づくり」
上意下達だな。

5.提案

(1)包装紙にうっとりしてないで、学習量過大を直視せよ
(2)包装紙に惑わされず、児童理解と教材研究に専念せよ
(3)時に子どもの輪に入り、遊び心に付き合うことも必要
(4)温故知新。過去の「教材研究」の財産を大切にせよ。
(5)「教えるべきこと」と「自分で考えるべきこと」を区別せよ。

まあ、そうは言っても余裕はないわけだが。
楽観視できんなぁ…
自分だけかなぁ?

ダウン症児を通常学級へ?

この記事をどう受け止めるか。
結論めいたことを言えば、

「普通級は、ちょっと冒険過ぎやしませんか」
「発言が軽い気がする。熟慮の末、という感じがあまり伝わってこない」
「とは言え、考え方は理解できる」

月並みだが「どちらの気持ちも分かる」という立場。
障害児に限らないが、子どもの成長には『本人の努力と周りの協力』。
どちらが欠けてもうまくいかない。

「健常者は障害者の下請けじゃない」という気持ちも分かる。
かと言って、障害者の保護者が健常児を一方的に踏み台にしてやろう、と考えているわけでもない。
ギブアンドテイク、というわけではないが、「健常者には一切メリットがない」という断言は早計である。

世の中、いろんな人がいる。
そのことを実感できる機会は貴重と言えば貴重。
実体験抜きの知ったかぶりとは違う。

もちろん、人間関係は助け合いや絆などのきれいごとだけでは済まされない。
人間関係に含まれるわずらわしさ、うっとうしさも含めての学習だ。
だからと言って、障害児との共生を、
「貧乏くじだ」
「逆差別だ」
「わりを食っているとしか思えない」
と感じる人は、残念ながらそういう視野しか持たない人たちなのだろう。

Mの話になるが、最近面談で「先生方の指導のおかげで、健常児がMにやさしくしてくれて助かります」と伝えると、こういう返事が返ってきた。
「やっぱりね、みんなMちゃんが笑顔になるとうれしいんですよ」
「『あ、Mちゃん。こういうのが好きなんだ』って発見したら、教えてくれるんですよ」
健常児の存在が、心の底からありがたい。
たとえそこに、優越感や見下す心理が混じっていたとしても、自分は全く構わない。
障害なんだもの、事実いろいろできてないんだもの。

一方、MはMで、生活発表会の練習期間中、誰に言われるわけでもないのに、一生懸命「おじぎ」の練習をしていたらしい。
「できればみんなと同じ行動がしたい」
そういう願いを持ち、努力していた。
健常児は障害児を気にかけ、障害児は健常児をロールモデルとして努力する。
お互いに愛し合い、ともに行動することを幸せと感じるなら、それでいい。

ただ、余裕がない人はやっぱり余裕がない。
いつもいつも、助けられるわけではないだろう。
その部分は、障害児にとっても学習である。
安全安心安定は大切だが、さりとて学校はお花畑でもない。

あとこちら、参考までに。
煽ってるわけではないだろうし、正論なのだが、「健常者だってその日その日を命からがら生きているのに、合理的配慮をしなければ不法行為だとか、ふざけんなよ」という声も一定数存在する。
それを不寛容、と指摘するのは簡単だが、こういった余裕のなさ自体は今、日本中を覆っている気がしてならない。
この現実をどうしたもんか。

自分たちも例外ではない。
カナー型自閉症児を小学校の特別支援学級へ入れたいと願っている。
成長の遅さと戦うだけでもやっとなのに、この上教委や健常者や健常者保護者の「ふざけんな」と戦わなくてはならない。
正直、もしもMよりも重度の子が入ってきて、支援が薄くなれば、自分も心穏やかにいられないかもしれない。

今年一年、園にはMに本当によくしていただいた。
生活発表会で、歌えず、踊れず、しゃべれないMが健常者と同じものを見つめ、同じような表情で、同じ場所にい続けることができていたのは、ほとんどが健常児のおかげである。
比べて申し上げるのは失礼だと思っているが、特別支援学校の学期1の交流だけで、あんな姿が見られるわけがない。
健常児サマサマなのである。
健常者である親や先生にもできないこと。

負担は厳然たる事実である。
しかし、つながりを切ることでいっとき軽くなることはあるだろうが、いつか思いもよらぬ負担のしっぺ返しがくる予感がする。
障害児が努力し、健常児が協力し、(時に障害児も誰かの力になって)支え合うことが、本当の意味で負担軽減につながると自分は信じる。
ただしそれには、「公的インフラ(サービス)」の存在が不可欠である。
「公的インフラ(サービス)」が「重度の子は健常児に寄ってくんな(特別支援学校行け)」と排除の論理を振りかざすようでは、今後ますます社会は分断されていくように思える。
「お願いだから、健常児と同じ空気を吸わせてください」というのが偽らざる本心である。
(正確には、「同じ空気を味わわせてください」)

(余談)
「普通級に入れたがる保護者は支援級を差別している」という考え方はどうなのだろうか。
そういう人もいるかもしれないが、この意見こそが偏見である印象を受ける。
我々が普段何かを選ぶとき、「選別している」と言われたらまあそれは事実だろうが、「希望しなかったものを差別している」と言われたら「そこまで言われる筋合いはない」と思うのではないだろうか。

自分の考えを持つ(小3国語 「しりょうから分かる、小学生のこと」)

こりゃまた面倒な単元だ。
しかも、困ってしまうのが、自分が資料を調べたり発表したりという活動をさせるのが、嫌いじゃないということ。
そういう意味でも面倒である。
また、残業時間が増えるじゃないか。

まず、教科書を見ると資料が3つある。

(0)小学生が1か月間で読んだ本(5月)の経年変化
キャプチャ

(1)男女別・全国の小学生の数(平成20年度~24年度)
K3330394.jpg

(2)男女別・しょうらいのゆめ(平成23年度)
K3330395.jpg

で、(0)については
「部分的に減っている年もあるが、全体としてはこの十年間で小学生の読む本の数は増えていると言えるのではないか」
という模範的な発表例が載っているので、それを超えることは難しく、逆に児童には取り組ませにくい。

そうすると、30名を超す児童がたった2つの資料から発表内容を考えることになる。
そりゃあ、かぶりまくる。発表中にマンネリになってしまうだろう。
そこで、小学生に関する資料をネットから引っ張ってきた。

(3))習い事別継続年数
キャプチャ8 - コピー (2)

(4)1日の家庭学習時間
キャプチャ5

(5)普段の経験とコミュニケーション能力
キャプチャ5 - コピー

(6)子どもの好きな教科
キャプチャ7

選択肢が増えた。これで多少は多様性が保障される。
そしてまず、資料を読ませ、「ぱっと見、気づくこと」を全体で出し合った。
(この活動を個人でやらせても、「何の気づきもありません」という児童を増やすだけだ)

(1)男女別・全国の小学生の数(平成20年度~24年度)
「男子も女子も合計も、だんだん減っている」
「毎年男子の方が多い」

(2)男女別・しょうらいのゆめ(平成23年度)
「男子は選手が多く、女子は先生が多い」
「食べ物屋さんは両方に人気」

(3)習い事別継続年数
「音楽は長く続けている人が多い」

(4)1日の家庭学習時間
「学年が上がると増えている」

(5)普段の経験とコミュニケーション能力
「いろんな経験をすることが多い人は人と関わるのが得意」

(6)子どもの好きな教科
「体育・図工が人気」

次に(1)~(6)の資料を1つ選ばせ、発表メモの作り方を指導する。

「はじめ(これから何をするか)」
→「しりょうについて(の説明)」
→「しりょうから(ぱっと見て)分かったこと」
→「しりょうから考えたこと(思ったこと)」
→「終わり(むすび)」

という感じ。
で、一番大変なのが「しりょうから考えたこと(思ったこと)」である。
自分の頭を使わなくてはならない。

やはり「何の疑問もありません」「何の感想もない」「コメントは差し控えさせていただきます」「ノーコメント」という児童が数名出る。
「先生が何とでも助けるから、『その資料のどの部分のことを書くか』くらいは絞ってくれ」と声をかける。
ひどい時には「『この部分について書く』と適当に鉛筆で指してみ」とまで、言う。
指定さえできれば、あとは何とでもこっちでひねり出せる。

さて、子どものメモを見てみよう。

(1)男女別・全国の小学生の数(平成20年度~24年度)

「なんで男女とも減っているのか考えました。例えば、結婚や子育てにはお金がかかります。使うお金がふえると、子どもの数も増えるかもしれないと思いました」
「5年とも、男子はなぜ多いのでしょうか。先生に聞いたら、男子の方が死んで生まれる確率が高く、医学の進歩で生き残る確率が上がったと言っていました」

(2)男女別・しょうらいのゆめ(平成23年度)

「なんで食べ物屋さんが男子と女子の両方に人気があるか考えました。料理人がフライパンや包丁などを使う姿にあこがれているのだと思います。食べ物屋さんのキッチンには男の人も女の人もいるからです」
「(同じく付け足しで)おいしいものを作って食べて欲しいという気持ちは男子も女子も同じだからだと思います」
「食べ物屋さんはいろんな種類の中から自分の作りたい食べ物を選べるからだと思います。自分の好きなものを作って食べて欲しいのだと思います。」
「男子と女子の違いを考えました。今は男子向きの仕事が多いからだと思います。プロの女子選手は少ないです。学者さんやお医者さんでも、男の人の方が多いです」
「なんで女子は先生がいいのか考えました。みんなに賢くなって欲しいこと。勉強がよくできて、みんなにやさしく教えてあげたいと思っている女子が多いのだと思います」
「なぜ男子は選手が人気なのか考えました。男子に人気のものは実際に習い事でスポーツをしている人が、勝てば勝つほど活躍できるからだと思います。活躍するのが楽しいので、大人になっても活躍できる選手になりたいのだと思います」
「なぜ野球選手が1位じゃなくて2位なのか考えました。ボール遊びを禁止する公園など、子どもが野球をするチャンスが少ないことと、道具や人数・ルールなどの知識が必要だからだと思います」
「女子は男子みたいに思い切り体を動かすんじゃなくて、やさしいことやかわいいことをしたい人が多いです。だから先生や歌手やタレントや看護師さんがいいのだと思います」
「男子はかっこいいのが好きだ。選手もそうだし、学者やお医者さんもかっこいいです。」
「女子はスポーツや外の遊びが好きな子が少ないです。お店屋さんごっこや先生ごっこをする人もいます。まねをしているうちに、なりたくなるのだと思います」
「女子は、保育園とかで先生たちが楽しそうだなー、やさしいなー、と思ったから選んでいると思います。保育園には女の先生が多いです」
「女子は選手が少ないです。それはサッカーや野球をすることで土で汚れるのがきらいなのかもしれません。体やユニフォームをよごしたくないのだと思います」
「女子のプロスポーツ選手はまだまだ人数が少なかったり、知られてなくて、(5位までに)入っていないんだと思います」

(3)習い事別継続年数

「なんで音楽は6年以上の人が多いのか。習っている人が音をかなでるのが楽しいからかなと思いました。『やりたい』という気持ちがあれば、長続きすると思います。」
「音楽は弾けなかった曲が弾けるようになってうれしいとか、レベルが上がって楽しいのだと思います」
「音楽は小さいうちから始めている人が多いのだと思います。」

(4)1日の家庭学習時間

「なぜ学年が上がると勉強時間が増えるのか考えました。宿題が多くなるので時間も増えると思います。また、宿題以外の時間が増えているのは勉強が難しくなって宿題だけでは足りないのだと思います」
「宿題以外の勉強時間が3年生から4年生で大きく増えています。4年生になると、じゅくや習い事の勉強時間が増えるのだと考えました。」

(5)普段の経験とコミュニケーション能力

「なぜいろいろ経験が多い人でも、人と関わるのが苦手な人がいるのか考えました。夏祭りやお年寄りのお世話、ボランティアをしていても、嫌々やっていて人と関わらないようにしている人はコミュニケーション能力が上がらないと思います」

(6)子どもの好きな教科

「社会の人気がないのはなぜか考えました。理由はおぼえるものが多くて難しいからだと思いました。もっと分かりやすくなれば人気が出ると思います」
「なぜ体育や図工が人気なのか考えました。体育は運動して気分がすっきりするし、図工は絵具とか使うことでかきたいものをかくことができるからだと思います」
「体育や図工は学年が変わっていくごとに、やっていることが違ってくるから人気なのだと思います」
「なぜ国語の順位が落ちているか考えました。総合的な学習の時間や外国語活動が入ってきたからだと思います」
「国語と社会の人気のない理由を考えました。国語は書かれた分を読みとるのが難しいから、社会は地元のことをよく知らなくて調べるのも難しいからだと思います」
「家庭も人気と言えるかどうか考えました。2001年に3位に落ちても2006年に2位にもどっているので、人気と言えると思います」
「体育はとび箱とか楽しくできるし、リレーとかチームで協力できるから人気だと思います。」


肉付けはいろいろした。
あと、男女共生社会という視点で見ると眉を顰めたくなるものもあるかもしれない。
(それはそれで、授業後に指摘するつもり)

とはいえ、自分の意見を持ち、多様な意見に耳を傾ける機会になりうる、という点ではなかなかいい教材だと感じた。